お問い合わせはこちら トップへ戻る
ブログ ブログ

Blog

ブログ

2022年9月12日 ブログ

中秋の名月

土曜日は「中秋の名月」でした。
旧暦の8月15日「十五夜」だったわけです。
私の家の付近は天候もよく、きれいなお月様を駐車場から家族で見ることができました。
残念ながら飾りやお供えもなしで、ただただ空を見るのみでしたが。
「十五夜」の翌日「十六夜」もまだまだ月は見ごろ。
「十六夜」は「いざよい」とも読み「いざよう=ためらう・進まない」という古語が元です。
前日の十五夜に比べ、空に出てかかるのが少し遅くためらっているように感じられるからだとか。
そして、さらに次の「十七夜」以降も「まだまだ月を見るぞ!」ということで以下のように呼ばれていました。
旧暦8月17日の月:「立待月(たちまちづき)」→月が出てくるのを立って待っている
旧暦8月18日の月:「居待月(いまちづき)」→月が出てくるのを座って待っている。
旧暦8月19日の月:「寝待月・臥待月(ねまちづき・ふしまちづき)」→月が出てくるのを寝て(横になって)待っている。

とまあ、月の昇る時間が徐々に遅くなるのにしたがって、待つ方も徐々に疲れてくるんでしょうか。
さらに旧暦8月20日の月は「更待月(ふけまちづき)」といって「夜更けまで待ってようやく月が出てくる」というわけです。
どんだけ月が好きなんだ?と思いますが、日本人にとっては昔から関心事だったんですね。
十五夜のお祭りは豊作を願う祭りでもあったので、農耕に従事する人にとっては大事なことだったと思います。
それに続く「月待ち」で立待・居待・寝待・更待と重ね、二十三夜まで月の出を待って宴会をする風習もありますからね。

文人たちも古くは1,200年以上前、奈良時代の阿倍仲麻呂(行った先の唐の皇帝に気に入られて引き止められ、何とか帰ろうとしたのに遭難しすぎて日本に帰れなかった遣唐使)の
歌「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも(天を仰いでみると月が見える。奈良の春日の三笠山に見えるのと同じ月なんだなあ)」とか、江戸時代の松尾芭蕉「名月や池をめぐりて夜もすがら(美しい名月を眺めて池の周りを歩き回ってたらひと晩たってしまった)」なんかもあります。
ホントにどんだけ月が好きなんだ、日本人。

ということで次は「十三夜」が旧暦の9月13日(今年は10月8日)にやってきて、こちらも月見によいとされています。
興味のある方はお見逃しなく。

ではまた次週もよろしくお願いします。

一覧に戻る

→